こんにちは、マスタングです。
僕の過去の人生を一言で表すなら
『コンプレックスとの戦い』でした。
今でこそ僕は優秀なシステムを作り上げて
ほぼゼロに近い労働時間で収益が上がるため、
人生を謳歌出来るようになりました。
コネも経験も資金も何もないところから
ビジネスを作り上げたことで、
自分に自信が持てるようになり、
人生が楽しくなったのですが。
昔の僕は
自信がなくて、いつも他人に対して
劣等感を感じていました。
お金、家族、外見、知能、
学歴、運動神経、プレゼンテーション、
コミュニケーション能力
挙げたらキリがありませんが、
あらゆることが人より劣っている気がして、
それがコンプレックスで
10代の頃は生きづらさを感じていました。
僕はそれらのコンプレックスと向き合い、
20代でようやく克服し、
遅れてきた青春時代を楽しめるようになりました。
仲間と平日に旅行に行ったり、
寿司を食べに行ったり、
勉強合宿をしたり、
夜通しゲーム大会をしたり、
テニスをしたり、
思いつきで深夜にレンタカーを借りて温泉探しの旅に行ったり。
海外の友達が出来て、その友達を訪ねて遊びに行ったり。
10代の自分からしたら、
「お前本当に俺かよ?」と思うほど、
人生を楽しめるようになりました。
コンプレックスでがんじがらめになって、
卑屈で不自由だった自分ですが、
どんどん素直になれて、精神的にも解放されて、
自分の人生に可能性を感じられるようになりました。
なぜこうなったか?
それは自分の弱点と向き合い、
一つずつ克服していったことがとても大きいです。
人は誰でも変われる。
今日はその話をさせてください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
僕のコンプレックスとの戦いは
幼少期から始まります。
一番最初のコンプレックスは家族でした。
仲の悪い両親、知的障害の妹が
恥ずかしくてコンプレックスでした。
僕の家は父と母の関係が非常に悪く、
幼少期の頃から二人は顔を合わせるといつも喧嘩していました。
喧嘩の内容はお金や嫁姑問題がほとんどで。
夜になると、酒に酔った父と母の
「ふざけんじゃねえぞこらあ!!」
といった喧嘩の声で目が覚めます。
夜になって酒が入ると、
両親は人が変わったようにケンカが始まります。
昼間とのギャップが怖くて怖くて、
僕は布団の中に隠れて、布団を何重にもして、
出来るだけケンカの声が耳に入ってこないようにしていました。
なぜお互い好きで結婚したはずなのに、
こんなにケンカするのだろう、、、?
頼むからケンカをやめてくれ、、、、
一日二日ならともかく、
毎日のようにケンカしているのです。
僕は特定の宗教を信仰してはいませんが、布団の中で
神様、どうかお父さんとお母さんを仲直りさせてください。。。
と、手を組み、お祈りのポーズをして、
泣きながら必死に神様にお願いをしていた記憶があります。
小学校1年生がです。
両親のケンカはただただ悲しかった。
親の怒鳴り声が聞こえるたびに、
心がザワザワして不安になりました。
結局、祈りも虚しく、
父が飲酒運転で深夜に車でどこかに出かけ、
母が家で一人で泣いている。
いつもこの状態でケンカが終焉します。
高校2年生の時は、
両親のケンカがエスカレートしすぎて、
父が母を精神病棟にぶち込んで隔離する。
という事件もありました。
ある日、家に帰ると母親がいなくて、
父に「お母さんどこに行ったの?」と聞くと、
「精神病院に入院した」と言っていました。
今思い返しても母は普通だったと思いますが、
医師からは精神病と診断をされて、
強制的に病院に運ばれ、隔離されました。
母は頭が働かなくなる注射を打たれて
精神病院の檻の中で3日間ほど過ごし、
その後通常の病棟で1ヶ月ほど過ごしていました。
檻の中で母は
「僕と妹に会いたい。」と泣いていたそうです。
母が檻から出て普通の病棟に戻った時に、
会いに行きました。
おかしくなったというから、
どんなヒドイ状態かと思ったら、いつもの母なのです。
診断した医師に不信感を抱きました。
母自身は普通そうでしたが、
精神病棟というのはとても異様でした。
ヘルメットをかぶった人が
ずっと壁に自分の頭をガンガンと打ち付けていたりで、
ものすごく怖かった記憶があります。
このように家庭環境が割とクソだったのですが、
これが当たり前の環境に育ったので、
どこの家庭もこんなものなのかな?
と思っていました。
ですが、同級生に聞いてみると、
他の家の父ちゃんと母ちゃんはもっと仲が良いらしいのです。
羨ましさを感じたと同時に、
いつもケンカばかりしている、
自分の両親に嫌悪感を感じるようになりました。
他所の家は
ブチギレて飲酒運転で出て行くような人もいないし、
母ちゃんが家でいっつも泣いていたり、
嫁姑が毎日のように揉めたりもしていないのです。
加えて、僕の妹は知的障害だったので
そのことを同級生からバカにされていたのもあって、
僕の中で自分の家族というものは
ものすごく嫌で恥ずかしくて隠すべき存在になりました。
普通に生きていたら
両親や兄弟について友人から聞かれる。
という場面は何回かあると思います。
でも、僕は自分の親とか妹のことを
思い出したくもないし、恥ずかしくて
話したくありませんでした。
どんな親だったの?
→酒飲んで家でいつもケンカしていて、
お互いの悪口言い合ったり、すぐ家出する親
妹さん今どこでなにしてるの?
→知的障がいの人の職業訓練所みたいなところで
安い賃金でクッキー作ってる
僕は世間的な経歴だけで言ったら
良い大学を出て良い会社に入っているので(実態はともかく)、
低学歴で酒を飲んだくれ、
いつもケンカばかりしていて、
まともな仕事をしてない自分の家族が
人生の汚点のように感じていました。
(今はそう思いません。両親には本当に感謝していますし、妹とも和解しています)
なので家族のことを聞かれても
適当なことを言ってはぐらかすのですが、
詳しく聞かれれば聞かれるほど、
繕ってもボロが出てくるし、後ろめたさがあるので
頼むから俺の家族については質問しないでくれ、、、
と思っていました。
だから親友レベルの友人とも
ほとんど家族の話はしたことがありません。
これが最初のコンプレックス『家族』でした。
今は仲良いですし、
親や妹を旅行に連れて行ったりしますが、
昔は俺以外みんな早く死んでくれ。
と本気で願っていました。
とまあ、こんな感じで僕は人生において、
その後も様々なコンプレックスを抱えて
がんじがらめになっていきます。
全部話すとキリがないのでざっくり紹介すると、
・貧乏コンプ
家が貧乏で両親がケンカしたり、
バス通学の定期券を買えなかったり、
授業料免除を受けないと大学に通えなかったりと、
いちいち周りの人と経済格差を感じて恥ずかしい。
・地頭悪いコンプ
頭の回転が遅く、何をやっても習得までに時間がかる
・組織苦手コンプ
大人数で連携プレーをしたり、根回しをしたりが苦手。というか、人間関係がめんどくさすぎて組織に適合できない。
結果、仕事できない。
・学歴コンプ
高校受験失敗して第一志望の大学に行けなくて、
学歴ロンダリングで大学院に行った。
最終学歴は良いので凄いねと言われるが、
ロンダリングで入ったことに引け目を感じ、
自分は所詮フェイクだと思ってしまう。
・ニキビコンプ
顔中ニキビだらけで病院でレーザー治療やったり
あらゆる手を尽くしても治らなくて、
こっちは頑張ってるのに、肌が綺麗な奴からは総じて
「ちゃんと顔洗ってる?」と聞かれて殺意を覚えた 苦笑
・青髭コンプ
高校時代からヒゲが濃くて
毎日カミソリ負けして肌が痛くなるほど剃ってるのに
青髭になってしまう。アダ名が青髭になった。
・デブコンプ
18年間ずっと名前の代わりにデブと呼ばれ続ける。
おい、デブ〜
と普通に呼ばれる。
デブと呼ばれすぎて
いちいち否定するのもめんどくさいので
それを甘んじて受け入れてる自分にも腹が立つ。
あと、デブだと高確率でチチを揉まれる。
アダ名は「デブ」か「青髭」か「下人(げにん)」だった。
・非モテコンプ
自信がなくて、女性と話すと
キョドリまくって目が泳いでしまったり、
訳わからんこと話したり、強がってしまい、
21歳まで童貞をこじらせて
周りからバカにされるので恥ずかしい。
・仮性包茎コンプ
ちんこの皮が剥いても剥いても
元に戻ってしまって温泉に行くのが恥ずかしい
・運動音痴コンプ
運動神経が悪く、たくさん練習しているのに
全然うまくならない
・コミュ障コンプ
初対面の人とうまくコミュニケーションが
取れなかったり、話が続かなくて天気の話とか
自分薄っぺらい話しか出来てねーなーと自己嫌悪する
とまあ、これらの悩みそれぞれについて
悩み倒しましたし、向き合いました。
故に、昔の僕はコンプレックスだらけで
自分が大嫌いで、本当に自信のかけらもない人間でした。
自分のことを欠陥商品だと思っていました。
自分の悪いところ悪いところに
目が行ってしまうのはおそらく癖でして、
その根源は幼い頃の自己否定感から
来ているんだと思います。
先ほども話したように
割とクソな家庭環境だったので、
母も精神的に余裕がなかったのか、
僕は小さい頃から結構厳しめに育てられました。
幼少期の頃から何か失敗すると、
なんでこんなことも出来ないんだ!!!
だからお前はダメなんだよ!!
こういった否定的な言葉を浴びせられ、
頭をはたかれていました。
冬は雪が積もった雪の上にぶん投げられて、
玄関の鍵をかけられて外で反省てのもありました 苦笑
ごめんなさい。ごめんなさい。
と許してもらえるまで
玄関の扉越しに何度も謝りました。
これらの経験は
今でもはっきり覚えているぐらい、
当時の自分にはショックでして、
それ以来、「なんて自分はダメな人間なんだ」
と自己否定感を感じるようになりました。
こういった自己否定感がベースとしてあるので、
自分の良いことよりも悪いことばかりに目が行きやすくなり、
故に粗探しばかりしてしまい、
自信というものは一切ありませんでした。
少し話はそれますが、僕は世間一般で言われている、
自己肯定感を高めるために、
自分を認めてあげましょう。とか、過去の自分を許しましょう。
という意見は違うと思っています。
潜在意識レベルで
脳を変えるということも学んでいますが、
リフレーミングなど
顕在意識レベルのテクニックでなんとかしても、
自信がない人というのは潜在意識に
蓄積された失敗データが積み重なっているので、
意識的に自分を認めてあげたり
物事の捉え方を変えるというのは、
やらないよりはマシかもしれませんが、
所詮は小手先の自己改革でしか無いのでは?と思います。
本当の自己改革とは、成功体験を積み上げ、
「俺ならできる」と確信できるようになるまで、
脳内に蓄積された失敗データを成功データで
上書きすることでしか成し得ないのではないかと思います。
話を戻して、
僕は大学進学を理由に実家を脱出し、
そこから自己改革をしていきました。
モテたくて、大学ではダンスサークルに入ったり、
バイトしてお金を貯めてヒゲのレーザー脱毛をしたり、
包茎が治る矯正器具をつけて生活したり 笑
(ちなみに、ダンスサークルに入っても
結局コミュ障なのでモテませんでした)
色々やって分かったのは、
外見的な悩みというのは
課金か少しの努力で
割とすぐ解消されるということです。
ヒゲ脱毛をしたら
長年コンプレックスだった青ヒゲは
一瞬で消滅しましたし、
デブもダンスをしてたら
15キロほど痩せて解消されました。
包茎もサフィットという矯正器具をつけて
2ヶ月ほど過ごしたら解消されました。
ニキビは皮膚科でビタミン剤をもらいつつ、
食事を気をつけて運動していたら
自然となくなっていきました。
しかし、外見以外の悩みというのは
長年染み付いたものなので、
貧乏とか、地頭が悪いとか、組織が苦手とか、コミュ障
とかは解消しませんでした。
というか、解消法が分からなかったのです。
なので会社員になっても
貧乏でいつもお金がなくて、
当時学生だった彼女とご飯に行っても、
いつも割り勘で情けない思いをしましたし、
会社のプレゼンでは
「あ、あ、あの、ええとおおおお、、、」
と 死にたくなるようなクソみたいなプレゼン
を同期と上司の前でかまして、
みんな苦笑いしていて。
それに対して、同期は優秀で劣等感をマックスに感じていました。
あーあいつは東大だから優秀に決まってるよなー。
所詮俺は学歴ロンダリング。ちゃんと勉強してない偽物なんだよ。
と言い訳をかまして卑屈になっていました。
で、ブログやメルマガにも書いてある通り、
ビジネスを始めたことがきっかけで僕の人生は転機を迎えます。
起業家の金持ち達の世界は魅力的でした。
お金と時間があって、
欲しいものも手に入れられるし、
美味いものも食える。
ノリで仲間と海外旅行に行って、
そこで得た情報でさらに金持ちになり、どんどん成功していく。
仕事も楽しそうで、
お客さんに感謝されながら仕事をしていて、
イキイキしている。
なんというか、
自分の力で金を稼ぎ、自信に満ち溢れていて、
要は人生楽しそうでした。
会社の上司たちとは全然違いました。
俺もこの世界に行きたい。
変わりたい。
僕は行動に移しました。
圧倒的に稼いでいる人に師事して
ビジネスの知識と
稼ぐ人間の思考回路を得ました。
学び、音声を聞いて、行動して、音声を聞いて、、
そしたら、5ヶ月後には40万円ほど稼げるようになっていました。
そして、数年経った今は
ネットで月200万円ほど稼いだり、
それとは別で実店舗を18店舗ほど経営したりと、
どんどん出来ることが増えていって、
自信が持てるようになりました。
自分より年上の経営者を何十人も前にして
プレゼンテーション出来るようになったり、
コンサルティング先から
「頭の中どうなってるんですか、、」
と褒められるようになったり、
仲間と平日に沖縄旅行に行ったり、
銀座の会員制のお寿司屋さんで
回らないお寿司を食べたり、
昔憧れていた世界を
少しは体現することができるようになりました。
よく勘違いされるのですが、
僕は人よりセンスがないから
ビジネスを始めたんだと思います。
自分にセンスがあったなら、
会社でバリバリと仕事をこなし、
さっさと出世し、せっかく入ったトヨタを
辞めてなかったと思います。
プレゼンテーションは下手。
要領もよくない。
締め切りには遅れる。
いつも上司からは怒られてばかり。
優秀な同期たちを見て
いつも劣等感を感じていました。
でも、だからこそ、
会社を辞めて起業する時、
僕は今まで逃げてきた自分の苦手な部分と向き合いました。
そして知識を学び、行動に移しました。
起業するということは、
自分で自分の人生の手綱を握るということです。
起こった出来事の責任は全て自分にあり、
会社のせいにも上司のせいにも出来ません。
(もちろん、起業してなくても人のせいにすべきではないです。
どんなに会社がクソでも上司がクソでも給料が安くても、
それを選んだのは自分ですし、
それを続ける判断をしているのも自分だからです)
コンプレックスだらけの自分が嫌なのであれば、
ほんの少しずつでも良い。
少しずつだけど、向き合って解消していけば、
今よりは確実に人生良くなります。
恥ずかしい話ですが、
僕は初めてyoutubeの動画を撮った時、
自分は病気だと思いました。
全く言葉が出てこない。
沈黙とか、あーとかえーとか言っている時間の方が
話の内容よりも長いのです。
これはやばい。
ネットで「言葉が出ない 病気」と調べました。
出てきたのは吃音とか失語症。
これだと思い、ビジネスの師匠に相談しました。
「師匠すみません。
動画撮ってみたんですが、あまりにも言葉が出てこなくて。
ネットで調べてみたんですけど、
たぶん僕は吃音か失語症って病気だと思います。」
師匠「はあ。。。」
師匠は呆れながら、
「バカなこと言ってないでもっと練習しましょう。
慣れの問題です。」
と一蹴しました。
僕は反発心を覚えました。
この人は俺のことを分かってくれてない。
俺は何かの病気に違いないんだ。
が、師匠の言葉には絶対服従と決めていたので、
あーだこうだ言っていてもしょうがありません。
しぶしぶ言われるがまま、
10本ぐらい動画を撮ってみることにしました。
3本目を撮り終わったぐらいに気づきました。
あれ、全然まだまだだけど、1本目よりは良くなっている?
もしかして病気は俺の勘違いなのか?
騙されたと思って、もうちょっと練習しました。
作っては聞いてを繰り返して、自分を添削しました。
「えー」とか「なんか」が多いな。
もっと間を取ろう。
ここは分かりにくいから例え話を入れてみよう。
繰り返していったら
どんどん言葉が出てくるようになりました。
あんなにコンプレックスだった喋りが良くなってきました。
動画のネタを仕入れる。喋ってアウトプットする。
繰り返していくうちに、
頭に知識も定着して、話のネタも増えていきました。
もっと訓練したくなって、
youtube用に仕込んだ話を
バーでたまたま隣にいた女性に話してみました。
教育論の話をしました。
すごい物知りですね。
って言われて仲良くなり、なぜかLINE交換できました 笑
味をしめた僕は代官山の蔦屋でも同じことをやりました。
そしたらまたLINE交換できました 笑
自分でも信じられません。
僕は高校時代、好きだった子はおろか、
クラスの女子とすら計3回ぐらいしか話したことがなく、
学校では女子達から下人(げにん)と言われていた人種です。
そんなヤツがバーやカフェで知り合った女性と
LINE交換出来るまでになったのです。
革命です。革命以外の何ものでもありません。
ビジネスのおかげで、
僕は自分を高めることが大好きになりました。
自分を高めると自分に直接リターンが返ってきます。
たまには変なこともやりました。
自分の殻を破壊するために、
家から六本木のカフェまでいく途中に、
5人の知らない人に
「こんにちは」と挨拶する。
出来なかったら罰としておしっこを飲む!と決意して、
知らない人に
「おはようございます。」
と挨拶していた時期もありました。
完全に不審者です。
挨拶する時は心臓ばくばくでした。
でも、おしっこだけは飲みたくないのでやりました。
まず、犬を散歩しているおばちゃんに挨拶しました。
「・・・にちは」
無視されました。
というか、声が小さくて聞こえなかったんだと思います。
でも、一応やることにはやった。
よし、1カウント。
次はOLっぽい人に挨拶しました。
今度はさっきよりも小さい声で挨拶したら、
おしっこを飲むという縛りを入れました。
こう言うと、
マスタングは実はおしっこが飲みたくて、
飲むための理由を作りたいだけなんじゃないか?
と思うかもしれませんが、はっきり言います。
僕はおしっこを飲みたくありません。
なので、次のOLの人にははっきり挨拶しました。
「おはようございます!」
キョトンとしていました。
気まずかったので僕はぺこりと
会釈をしてさっさと逃げました。
2人目を超えたら
全然大したことがないことに気づき、
速攻で5人達成しました。
よっしゃああああああ!!!
言葉に出来ない達成感がありました。
20分前の自分より明らかに進化できた。
このように、ビジネスによって自信が生まれ、
自信が生まれたことで挑戦ができるようになり、
出来なかったことや苦手なことが出来るようになり、
僕の人生はびっくりするほど良くなりました。
別人になりました。
昔と違いすぎるので、堂々と昔のダサかったことも晒せます。
別人になるって楽しいです。
ネットだったのが良かったんでしょうね。
ビジネスに関しては。
一人でパソコンの画面収録機能と向き合って、
「あー」とか「うー」とか言いながら動画を撮って、
全然喋れてねえ俺・・・・と思いながらも
プレゼンの練習を人知れずコソコソ出来た。
文章を書くときも、書いてみて、
あー俺クソすぎるやんけえええええ
と、自分のショボさに絶望しつつも、
知識を学んで修正出来た。
これが、プレゼンの練習を
大勢の前でやって場数こなしましょうとか、
書いた文章をみんなの前で晒しましょう。
だったら
メンタルが先に崩壊して、
コンプレックスが悪化して鬱になっていたと思います。
失敗しても失うものがない
ネットという環境でコソコソ練習出来たのが良かった。
オフラインだとあまりいないけど、
ネットだと驚くことがあって、
ヒョロヒョロでメガネかけててオタクっぽい、
明らかに大したことなさそうな人が
月に1000万以上(月にですよ?)
稼いでるって事態に頻繁に出くわします。
リアルではナメられて
取引先からも相手にされなかって人でも、
ネットだと結果を出せて大きな成功体験が得られます。
その結果、新たな挑戦が出来て、
どんどんレベルが上がっていく様子を見ると、
すごく刺激をもらえますし、
俺も負けてらんねーと思えます。
昔はすごい人を見ても、
自分とは違う。
と卑屈になるだけでしたが、今は
同じ人間なんだから自分もイケる!
昔がクソ過ぎたわけだから、逆に伸び代しかない!!
と思えるようになりました。
30年生きてきて確信していることがあります。
僕のような凡人が人生楽しみたいのであれば、
努力するしかないのです。
ぐちゃぐちゃのバグを一つずつ直して、
今よりも良くなっていくしかない。
クソみたいな自分でも慰めてくれて、
ありのままでも良いよ。
って認めてくれる環境を探すよりも、
さっさと自分でクソな部分を良くした方が
圧倒的に早いし、楽だし、人生楽しいと思いました。
僕はなんでもできるタイプではありません。
管理能力がないので、
複数のことを同時に進めていると、
頭がパンクして投げ出したくなります。
段取りも悪いので、
気づいたら期日が迫っていて、
前日ぐらいに慌てて徹夜で片付けます。
覚えが悪くすぐ忘れてしまうので、何度も復習します。
少しずつ出来ることが増えて、
自信というものを持てるようになりましたが、
元は自信もへったくれもありませんでした。
でも、自分に自信がないからこそ、努力しました。
少しでもダサくてショボくて恥ずかしい自分を抜け出すために。
お金も時間も労力もかかりました。
人より回り道したと思います。
でも、回り道したからこそ、
心の底から学び、理解できたことや、
人生の大切な思い出が増えました。
その経験は僕にとって財産です。
僕は本気で決意し、
本気で努力すれば誰でも変わることが出来ると思っています。
もちろん努力の方向性は大事ですが、
世の中本気になって出来ないことの方が
僕は少ないと思います。
僕はこれを読んだ人に、
「努力して俺のように変わろうぜ!」
なんておこがましいことを言うつもりはありません。
じゃあなぜこの話をしたのかというと、
自分と向き合い、変わりたいと本気で決意し、
努力すれば人は変われるという”事実”を伝えたかったからです。
(※何度も言いますが、ただ努力すれば報われるわけではありません。
正しい努力をした時のみ結果が出て変われます。)
この記事がきっかけで勇気が出る人が
たった一人でも増えれば良いなと思いますし、
何かの行動のきっかけになればと思います。
本気で変わりたいと思い、
努力できる人が
正しい努力をして報われる世の中
これが僕の目指す世界です。
それが実現できるよう、
僕はこれからも情報発信をしていこうと思います。
ということで、今回はここら辺にします。
メルマガやYouTubeもやっていますので、
もしまだ登録してない方はぜひ登録して、
情報を得てください。
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僕は年収1億円稼ぐ23歳の富裕層と出会い、
年収3000万円稼げるようになり、人生が激変しました。
昔はトヨタの本社で
レクサスの開発者をしていましたが、
今はたった一人でほとんど働かずに
上記の金額を稼いでいます。
たぶん超絶怪しいですよね。
お前には才能があったんだろ?とも言われます。
ですが、僕はもともとビジネスが
得意だったわけでもなければ、
しゃべるのも文章を書くのも大の苦手でした。
そんな僕でも自信を得ることが出来て
1年で年収3000万まで稼げるようになりました。
お店を18店舗経営もしました。
結局慣れなんですよね。
ビジネスに才能なんて要りません。
どんな人でも学んでいけば稼げるようになれる。
僕マスタングが年間3000万を稼ぐ過程を下記の記事では公開してます。
年収3000万の実業家になったマスタングの人生激変物語
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