親子問題、心の闇の浄化、過去の自分とフュージョンできた話

鳴海です。

ジョージアから一時帰国して北海道に来ています。
母親に会いに来ました。

あまり話してきませんでしたが、僕は心に闇を抱えていました。
今回はその闇が浄化された話です。

結論からいうと、親子問題の話です。

 

たぶん僕の発信に惹かれて来ている人の中には、何かしら僕と似たような問題を抱えている人もいるんじゃないかと思います。

なので、僕が35年間苦しみ続けた親子問題を解消した話をします。

もしあなたが以前の僕と同じように、生きづらさや寂しさを感じているなら、それが解消されればなと思います。

 

親子問題は人生で非常に大きい問題だと思います。
僕は、昔は家族が大嫌いでした。

 

社会人になってからは、
今後の人生、一生親や妹とは関わらずにいられたらなと思っていました。

なので、親への連絡は3ヶ月に1回電話するかしないか、実家に帰るのも最小限に、帰っても一泊か二泊ぐらい。

 

親と関わると暗黒だった10代、能力が低くてコンプレックスまみれだった時代に引き戻されそうで、嫌でした。

でも今は変わりました。

 

大好き!というほどでもないですが、親に対して感謝の気持ちを持てるようになりました。何かしてあげたいと思えるようになりました。

昔は頭が悪い親を見下していましたが、今は心からのリスペクトを持てるようになりました。

母ちゃんすげえ、(もう死んじゃったけど)父ちゃんすげえと思えるようになりました。

 

僕は小さい頃、自分がダメな人間だと烙印を押されることが多かったです。

母親には「お前は社会性がない」と何度も能力否定されたり、

何をしたからか分からないけれど、
冬、雪の中にぶん投げられたり、冬の寒い中玄関の外に閉め出されて、何度も「ごめんなさい」と言わされたり。

 

小学2年生の時、母親に連れて行かれた北海道の占い師には、当時学校でいじめられていた僕に対して、

占い師
「君はいじめられる星の下に生まれているから、普通の会社員は無理だ。いじめられるから。公務員にでもなった方が良い」

と言われました。

 

ご存知の通り、その後僕はトヨタに入り、トヨタを辞めて起業するので、その予言は大ハズレなわけですが、

当時の僕にはそれがとても絶望で、
「もうどうしようもないんだ、、僕は一生イジメ続けられる運命なんだ、、、」

とすごく悲しい気持ちになって、今でもそれを覚えています。

 

ちなみに、後でわかった話ですが、この占い師は実はエセ占い師で、色んな人からたくさんお金を集めて札幌に家を建てたそうですが、家が燃えてその時に死んだそうです。因果応報とはこのことなのかなと思います。

 

話を戻しまして、小さい頃から能力否定をいろんな人からされたことで、僕は能力に対して異常な執着を持つようになりました。

小学6年生の時は、七田眞の奇跡の右脳革命という本を読み、右脳が使えるようになると、映像で記憶できたり、速読できるようになるらしいと、七田眞の記憶術教材やCDを買いました。

ちなみに、そのCDは今でも使っています。

 

他には頭の回転が遅いのがコンプレックスで、速聴という音声を2倍速、3倍速で聴くことで頭の回転が速くなるというCD付きの本も買って、常に速聴音声を聞いていました。

自分の能力が低いのがコンプレックスだったので、環境を変えれば、そこに能力が順応するだろうと考え、学歴ロンダリングで良い大学院に入り、良い会社に入りました。

 

自分が能力を高めたいというのもありましたし、あとは親を断ち切りたいという思いがあったんだと思います。

・名前を書けば入れるバカ高校を出た母親
・感情的で人に感謝せず、他人と喧嘩ばかりしていた母親
・被害妄想気質の母親

俺はこんなに立派だ、あんな愚かな親とは違うんだ!!!と、自分と社会に証明したかったんだと思います。

 

そんな感じで、親、特に母親を遠ざけていたわけですが、今年の1月ぐらいに人生を振り返るタイミングがあって、ふと気づきました。

あれ?
今の俺があるのって、母ちゃんのおかげなんじゃね?と。

 

僕は父ちゃんに対してはリスペクトをしていましたが、母親に対しては負の感情を持っていました。

父ちゃんは中卒でマグロ漁船に乗って実家に仕送りして、妹を高校に上げるために頑張って、工事作業員だけど、東北新幹線のトンネルや青函トンネルを作っていて、父ちゃんすげえとリスペクトしていました。

 

でも母親に対しては見下していました。

名前を書けば出られるバカ高校出身だし、自己犠牲で人生を生きてきて、すぐ感情的になるし、被害妄想的で周りともすぐ喧嘩するので、嫌いでした。

でも、人生を振り返ったときに、今の自分を形成してるのは母ちゃんのおかげなんじゃね?と思いました。

 

母ちゃんに能力否定されなかったら、僕は右脳革命の本なんて絶対読まなかったし、東北大学にも行かなかったし、トヨタにも行かなかったと思います。

能力を高めることに執着とも言えるほどの関心を持たなかったでしょうし、起業もできてないと思います。

 

あれ??あれあれ?

もしかして、今の俺になる上で一番影響を及ぼしてるのって母ちゃんなんじゃね???

母ちゃんが俺の人生を形作る上で一番の立役者なんじゃね?と思いました。

 

僕の中でガラガラと何かが崩れる音がしました。

今まで忌み嫌っていた母親が実は一番感謝すべき人だったんじゃないかと。

 

そう考えるとブワーッと涙が出てきて、俺は何をしていたんだ、、、と思いました。

で、今住んでいるジョージアから母ちゃんに以下のメールを送りました。

 

ーーー
お母さんへ

心太郎です。
思ったことがあったのでメールしました。

結論から言うと、
育ててくれてありがとうございます。

35歳にもなった今さら気づくのがすごく恥ずかしいんだけど、今さらお母さんの偉大さに気づきました。

 

お母さん自身、小さい頃からハードモードで
親戚の家に預けられたり、若くから目の見えない親の介護をしたり、

そして結婚して、
誰も知り合いのいない青森にたった一人で来て、

僕を産んで、妹を産んで、
周りから色んなことを言われ大変だったのに、僕と妹を守りながら必死に育ててくれて。

 

僕にはやりたいことを何でもやらせてくれて、自分のことだってめちゃめちゃ大変なのに、そんな中、僕たちを育ててくれたんだと気づきました。

 

正直なことを言うと、
僕は鳴海家が嫌いでした。

家族のことを知られるのが恥ずかしいと思っていました。

学歴のない親
喧嘩ばかりの親
知的障害の妹

だから、自分の汚点を隠すように
学歴やブランドを追い求めて東北大に行ったり、トヨタに行きました。

 

頭の良い人を求めて頭の良い人とつるみ、学歴がない人は心の中で見下していました。

家族を紹介するのが嫌で、結婚しても嫁の両親とも会わせずにいました。

 

でも、今気づきました。
僕にとって一番誇らしい存在はお母さんだったんだと。

学歴なんて1、2年頑張れば取れるけど、
お母さんは青森という知らない土地で孤立無縁な超絶ハードモードな中、僕と妹を何十年も大切に育ててくれました。

 

そして、たくさん色んなものを与えてくれました。

僕が東北大の院を受けて、絶対落ちたと思って泣きながら電話した時も、

「もう終わったことはしょうがないんだから、今夜は美味しいものでも食べて、正直に面接で面接官に話しなさい!」

と応援してくれました。

 

あれがあったからこそ、僕は切り替えて次の日の面接に臨めました。

トヨタを辞めたいと言った時も、せっかく入ったトヨタを辞めて大丈夫だろうか?と心配だったと思うけど、そんな素振りも見せず、

「お前がうつ病になるぐらいならトヨタなんて辞めなさい」

と言ってくれました。

 

僕の人生の分岐点でいつも支えになってくれたのはお母さんでした。
無償の愛を注いでくれたのはお母さんでした。

一番すごい人は外の誰かやどこかの誰かではなく、一番近くにいたお母さんだったんだと今さら気づきました。

 

そんなことにも気づかず、僕は勝手にお母さんを遠ざけていました。
なんて愚かだったんだと今更ながら気づきました。

一人息子が海外に行き、
電話もせず顔も見せず寂しい思いをさせていると思います。

ごめんなさい。

いつも本当にありがとうございます。

僕はおかげさまでジョージアで元気に暮らしています。

 

そして今日、お母さんのありがたみに気づけたおかげで、すごく心が温かいです。

産んでくれてありがとうございます。
大切に育ててくれてありがとうございます。
たくさんの愛をありがとうございます。

 

電話だと恥ずかしくて言えないのでメールで送りました。

今度日本に帰った時は会いに行きます。
体に気をつけて元気でいてください。

心太郎

ーーー

こんなメールを送って、今回日本に帰国したので会いにいきました。

昔は母が言ってることに対して、心の中で揚げ足をとったり、はいはいと流していましたが、素直になれた今はすごく含蓄がある言葉だなと思って受け取れます。

 

で、全く意識してませんでしたが、3月は母の誕生日だったので手紙とお金を渡しました。

最近はやりたいことがなくて、仕事も頑張る理由ないなーとダラダラしていましたが、母と会って

「いやいや仕事頑張る理由全然あるやん。今までやってこなかった分、もっと母ちゃんに親孝行しなきゃ」

と思えました。

 

こんな感じで、僕の中でめちゃくちゃコンプレックスで嫌だった、親に対する認識がいい感じで統合されました。

 

僕のところに来てくれている人は、どこかしら僕に共通する部分があるから来てくれてるんだと思います。

もし、親が嫌い、親を憎んでるという人は、もしかしたらその親が1番の感謝すべき相手かもしれません。

今は全くそう思えないかもしれないけれど、いつか気づく時が来るんじゃないかと思います。

そして、気づきが来るタイミングが、あなたの親が生きている間だといいなと思います。

 

親と分離している状態は精神的に独りの状態です。

 

それはこれまであなたを強くしてくれたと思いますが、もう十分だと思います。

これ以上たったひとりで強くある必要はありません。

 

親と精神的な和解をすることで、孤独感が薄れ、自分はこの世界でひとりぼっちじゃないと思えるようになります。

だから、親子関係が良くなる人が増えたらいいなと思います。

 

今のあなたがこうして無事に生きているのは、あなた独りじゃなく、良いことも悪いことも含めて周りのおかげです。

短期的には悪いことだと思っていたことも、実は人生レベルで振り返ると、自分を強くするための教えだったと思える時がきます。

そうなると、全てのことに感謝できるようになります。

 

長文、ここまで読んでいただきありがとうございます。

あなたの人生がさらに発展し、感謝の心に満ち溢れ、幸せになりますように。

 

追記

母からメールが来ました。
和解しました!
勝手に俺が嫌ってただけだけど!笑

 

追記2
今回の記事のタイトル、「過去の自分とフュージョン」はオンラインサロンのメンバーさんからいただきました。

過去の自分とフュージョン、僕にない発想でめっちゃいいなと思ってタイトルにさせていただきました。

こんな風に周りの人から助けられて生きています。

自分一人じゃできないことも他者と協力すればできます。

親子問題が解消すると素直になれるんだなと気づきました。

 

 

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僕は年収1億円稼ぐ23歳の富裕層と出会い、
年収3000万円稼げるようになり、人生が激変しました。

昔はトヨタの本社で
レクサスの開発者をしていましたが、
今はたった一人でほとんど働かずに
上記の金額を稼いでいます。
たぶん超絶怪しいですよね。

お前には才能があったんだろ?とも言われます。
ですが、僕はもともとビジネスが
得意だったわけでもなければ、
しゃべるのも文章を書くのも大の苦手でした。

そんな僕でも自信を得ることが出来て
1年で年収3000万まで稼げるようになりました。

お店を18店舗経営もしました。

結局慣れなんですよね。
ビジネスに才能なんて要りません。
どんな人でも学んでいけば稼げるようになれる。

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